株式会社フリークアウトを創業
「度肝を抜く(freak out)」という意味を込めた社名に。登記は千葉県印西市。
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2010年10月1日の会社設立から、FreakOutグループはようやく10周年を迎えました。
後世に「あいつらは宇宙人と交信していたに違いない」と言われるほどのモノを残すための、最初の10年。
宇宙ファンクのジョージ・クリントンが生まれて約80年、宇宙人との交流説が多いマヤ帝国の歴史は数千年。
それらに比べれば、まだまだではありますが、この10年を支えてくださった皆様には心より感謝申し上げます。
「度肝を抜く(freak out)」という意味を込めた社名に。登記は千葉県印西市。
起業テーマを模索する本田。米国で起きている新しい広告取引手法「RTB」について知り、技術的興味から徹底的に調査を開始する。
東京都内での仮拠点としてコワーキングスペースを契約。
新橋に安いコワーキングスペースを借りたところ、隣の音も筒抜けの劣悪な環境であった。これでは入社する人もしなくなってしまうのでは…というくらいのヒドさであったため、1号社員の面談は社外で行うことに。
DSP立ち上げに伴い、本田が個人投資先の広告会社数社に対してSSPを始めることを提案。日本のRTBマーケット創生を牽引した。
第1号社員入社に伴い、本格的な営業活動に向け、新橋から六本木にオフィスを移転。
現在では有名になった数々のスタートアップ企業にオフィススペースの一部を提供し、同じオフィス内で創業期を共に過ごす。
いよいよオフィスも整い、DSPを売るぞ!と意気込んでいたところ、いきなり大震災が発生。一般企業も広告出稿を自粛し、テレビCMなどは公共広告だらけ。広告販売どころではなくなってしまう。
事業拡大に伴い、一度目のオフィス移転。
30名ほど入れる吹き抜けのメゾネット型オフィスへ。
タイムズスクエア近くのマンハッタン6番街にオフィスを開設。
市場が形成される前だったスマートフォンに特化してビジネスを展開した。
事業拡大に伴い、二度目のオフィス移転。
1フロアで100名超が働けるスペースを確保。楕円形のオフィス空間の中央に音楽ステージを設け、「表参道スタジオ」と命名した。
オフィス移転に伴い、ようやく待望の複合機が導入される。それまでは社内の印刷物は家庭用プリンター1台で凌いでおり、間に合わないときはコンビニプリントに頼ることもしばしば…。
ビジネス領域全般の管掌役員として佐藤が、管理部門の管掌役員として横山がそれぞれ就任し、急激な成長に耐えうるために組織をより強固にした。
取締役就任のタイミングで、コーポレートサイトの役員一覧ページにやんちゃな役員紹介マンガを設置。のちに主幹事証券会社から「頼むからあのマンガを上場前に取り下げてくれ」と懇願されてしまう。
この年から新卒採用を本格化。通称「JOB」と呼ばれる短期インターンシップを開催。キャッチフレーズは”人生最高の生産性を、体感する。”
「世の中のさまざまな領域において、データを使った効率化をする」というミッションを掲げ、DMP事業を開始。
急激な市場成長を続けていたアジア全域への事業拡大を図るべく、シンガポール法人を設立。
わずか2年間で従業員2名から70名へ拡大したことで、他社に二倍以上のポイント差をつけ1位を受賞。
スマートフォン向けネイティブアドネットワーク事業を開始。 ※M.T.Burn株式会社は、LINE株式会社へのサービス移行完了に伴い、2019年11月に解散いたしました。
事業拡大に伴い、三度目のオフィス移転。再び六本木へ。
森・海・ストリートとフロアごとに3つのフェスを表現した独特のオフィスデザインが話題に。
創業から3年9ヶ月、アドテク専業企業として国内初のIPOを実現。その後、アドテク企業が続々と上場し、アドテクへの注目が高まる。
本田は「マザーズ上場では鐘は鳴らさない。鳴らすのは東証一部か、NYSE上場のとき…!」と言い、東証の鐘を断固として鳴らさなかった。
西日本エリアでの販売シェアの拡大のため、フリークアウト初となる営業拠点を大阪に設立。
新規事業推進のため、5つの領域でイニシアチブと呼ばれるプロジェクトを始動。
これが後のタクシーサイネージ事業、リテールテック事業の種となった。
常識にとらわれず、探求を続けてこそのフリークアウト。東京本社の5Fフロア「FreakOut Garage」で、自社事業とシナジーを形成できるような他社とのコラボイベントや、共感し協力したいイベントへの会場貸し出しを積極的に行う。ピーター・ティール氏による学生向け起業講座「ZERO to ONE」や、日本最大級のファッションイベントのフィッティングなどが開催される。
この提携によりネイティブ広告プラットフォームである「Hike」を応用し、LINEの新広告プラットフォームを共同開発することになった。 ※M.T.Burn株式会社は、LINE株式会社へのサービス移行完了に伴い、2019年11月に解散いたしました。
スマートフォン領域における広告効果を最大化する、モバイル特化型マーケティングプラットフォームをリリース。
創業以来使用していたオレンジを基調としたコーポレートロゴから、ダークレッドを基調としたコーポレートロゴへ一新。
プレスリリースでは、本田自らロゴ変更に込めた想いを執筆。ロックになぞらえてベンチャー企業としてのフリークアウトを語る、本田の音楽著述のようなユニークでマニアックなプレスリリースは、各所で話題となりTwitterの急上昇トレンドにも載るほどに。
JapanTaxi株式会社(現 株式会社Mobility Technologies)との合弁会社を設立し、タクシーサイネージ事業を開始。
JapanTaxi社(現 Mobility Technologies社)とエンジニア採用で競り合い負けてしまうが、そのエンジニアがフリークアウトを社内で紹介してくれることになる。そのつながりが、のちにこのタクシーサイネージ事業を生み出す。
M&Aによりトレーディングデスク事業およびDMPコンサルティング事業を開始。
「人に人らしい仕事を。」というビジョンを、広告事業領域以外でもグローバルで実現すべく、ホールディングス体制に。
これまで培ってきたマーケティングテクノロジー領域での知見を活用し、流通・小売業の抱える様々な課題解決へ。
最先端のグローバルアドテクノロジーを台湾で展開していた同社をグループに迎え入れ、アジア全域でマーケティングオートメーション事業及びメディアマネタイズ支援へ。
adGeekとのM&A。本田、台湾にて滞在時間たった2時間という弾丸スケジュールで最終合意を得る。その場で台湾のご当地ウイスキー「Kavalan」で乾杯。
海外事業及びFinTech等の新領域における事業の拡大に向け、新経営体制発足。
本格的なFinTech領域への事業拡大に向け、急成長の兆しを見せていたカンム社へ出資。その後19年12月には、デロイト トウシュ トーマツ リミテッド 2019年日本テクノロジーFast 50にて成長率 3,592% 1位に選出されるなど、飛躍的な成長を遂げている。
社員が集まり、グループとしての方針やビジョン、各会社の戦略を共有するグループ総会が東京・南青山のジャズ・クラブ「Blue Note Tokyo」で行われた。懇親会では本田と有志によるバンド演奏を披露。
デジタルマーケティング領域における新規サービスの共同開発やアジアを中心とした海外事業の拡大に向け、協業へ。
国内外の広告事業を統合し、シンガポールをヘッドクオーターとして、グローバル市場での競争力を強化していく体制へと移行。
北米を中心に英語圏にてメディア向け収益化支援プラットフォームを開発・運営する同社をグループに迎え入れ、アジア&欧米のクロスボーダー事業を展開へ。
動画向けコンテクストマッチ広告を提供する同社を関連会社化し、インターネット動画広告技術基盤を強化。
SilverPushに続くユニークな技術会社を未開拓の地にて探すべく、ナイジェリアでのスタートアップイベントに本田が参加。イベント開催後のパーティーで、現地の皆さんにコマネチダンスを披露。イベントは大いに盛り上がった。
民放公式テレビポータルサイト「TVer」及び各放送局が運営する動画配信サービス等の広告在庫によるインストリーム広告マーケットプレイス「TVer PMP」を共同で開発、提供開始する。
グループの子会社上場第一号。
グローバル展開のポテンシャルを有する製品/ソリューションを開発するITベンチャー企業を対象とするCVCを設立。
コロナ禍により、新卒採用などの様々なイベントごとをオンラインに切り替え。決算説明会の実施も見送り、WEB上で特設ページを設けて公示した。
「オンラインコミュニケーション主体だからこそ実現できること」を目指す取り組みとして、本田の社内限定ライブ配信を実施。「こんなときでも新しいビジネスを考え出して欲しい」というメッセージを込めて、自分の額を「広告枠」に画像加工して登場した。
これまでの歴史を振り返り、次の10年となる第二幕へ…。
代表からのメッセージに続く…